話の流れだけ見れば、独身中年男の黒沢が人望を得ようとして、
勘違いされてしまう、といったさして面白くもないギャグだが、
主人公が黒沢であることに、意味がある。
一人でいることの辛さを急に知ってしまった齢男、黒沢の
痛々しさは、細かい描写で十二分に描かれている。


居酒屋で突っ伏した黒沢の顔に宣伝の紙が張り付くところは、
黒沢の中年らしさ、孤独らしさを表す描写として、秀逸だと思った。

とりあえず買ってみて、パラパラめくってみた。
小説自体は西尾維新のしかよんでないのでなんとも言えないが。


この雑誌の売りのひとつに、フルDTPで制作されている、という
ことがあるらしい。
編集者が足りてない中、資金、時間のコストを抑えて制作するためには、
ベターな選択なのだろう。


ただ、編集長らが主張するようにビジュアル的にうまくいっているかというと、
自分にはそうは思えない。
小説を読んでないのは、そこにも一因がある。


編集長とフォントディレクターの対談では

あくまでも版面の可読性を追求する
とあったが、そもそも追求できてない。字面がしつこくって、
読み進めない。
特に、佐藤友哉の小説ではゴシックが使用されており、
小説の本文をゴシックで組むことは組版の世界では
本来はタブーとされていますが、
今回はあえてそのタブーに挑戦してみました。
とあるが、タブーにはタブーとなるだけの理由がある、
とわかっただけではないだろうか。


また、その考え方を小説以外の部分にも適用すれば、
動物化するポストモダン・2は読ませるつもりがないのだな、
と思った。いつの組み方を真似てるんだ、と。


感覚としては、Mac OSXとInDesignを使って、少々手間暇をかけて
組んだというだけで自慢するのは気持ち悪い、といったところかな。


ま、けなしてばかりになったけど、別に全否定するつもりはない。
むしろ、

タイプフェイスはテキストフェイスと本来は不可分なもの
という発言には、素直に納得したし、読ませるデザインを考えるならば、
そのくらいは考えたほうがいいと思う。
今回は、それがうまくいってないように見える、というだけの話。


そういう発想が今までなかったということは、文学やってる人の
想像力が届く範囲は、意外と狭いのかも知れない。
それをわからせてもらったという意味では、よかったかもしれない。
(あとどうでもいいけど、販促チラシの下、CD風の注意書きに
痛々しさを覚えたのは僕だけですかね?)